みたらし団子の歴史
■誰からも愛される「みたらし団子」■
 みたらし団子は京都市の下鴨神社(加茂御祖神社)の葵祭りや御手洗(みたらし)祭のときに、神前のお供え物として氏子の家庭などで作られたのが始まりです。
■みたらし団子の言い伝え■

 後醍醐天皇が境内にある御手洗池で水をすくったところ、最初に泡がひとつ浮き、やや間を置いて4つの泡が浮き上がったところから、その泡を団子に見立てて作った。

 みたらし団子は人間の頭と手足をかたどったもので、これを神前に備えてお祈りをし、それを家に持ち帰って醤油をつけて火にあぶって食べ、厄除けにした。

 現在の形になったのは大正の頃。この頃は生醤油の付け焼きだけだったものを、加茂みたらし茶屋のご主人が醤油と黒砂糖を使ったたれを考え出し、子供からお年寄りまでに愛される食べ物になりました。

 岐阜県の高山市でもみたらし団子は有名で、その起源は諸説あるようですが、京都の下鴨神社の団子が伝わったようです。高山のみたらし団子は生醤油のみで焼くため、甘くない団子です。これは伝わった時期が大正時代以前だったのか、または、この地方では甘い団子が好まれなかったからと思われます。

登録商標 「小池風流軒 名古屋みたらし」

 小池風流軒のみたらし団子は、名古屋地区オリジナルの「名古屋みたらし」の名前で多くのお客様にご愛顧いただいております。

「小池風流軒 名古屋みたらし」とは
●五玉団子の串刺し団子であること。
●串の先が団子より飛び出ていること(近火で焼くため)。
●砂糖を使用せず、国産の米粉のみ使用したお団子であること。
●少し強めの焼き目をつけること。
●強めの焼き目をいれるため網で焼かず、専用の焼器で焼くこと。
●地元産の醤油を使用した甘辛タレを使用すること。

 名古屋地区では昔から、名古屋風みたらしといって、京風、関東風、高山風のみたらし団子や、和菓子の甘い生地、タレを使用した団子と一線を画し好まれてきました。米どころである肥沃な濃尾平野をもった土地柄と味噌醤油の醸造が盛んなこの地域に誕生した「名古屋みたらし」は、織田・豊臣・徳川の戦国武将のように天下統一・天下太平の野望と夢を受け継いだ地域の一品でもあります。現在も名古屋から全国へまた世界へ発信中です。

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